カウンセリング場面で出会う子ども達は現実生活のなかで傷つき、自分自身を受け入れることが非常に難しくなっています。「自分はだめだ」「自分が嫌いだ」と語る子どもが多いものです。自分を受け入れることができないので苦しんでいる、とも言えます。そういう子どもたちの話をよく聴いていくと、周りの人から与えられているメッセージの多くが、「・・・でなくてはならない」「・・・でないと認めない」という「条件つきのメッセージ」であることに気付きます。「自分を受け入れることができない」という心の状態は、周りが「・・・でないと認めない」という条件つきメッセージをその人に与え続けることによって形成されていくことが多いようです。
「勉強ができないとだめ」「仕事ができないとだめ」「”よい”人でないとだめ」etc・・・と周りは要求します。それは社会が存続していくために個々人に与えられるものですし、私たちはその要求に何とか応えることで社会に受け入れられます。条件つきメッセージの多くは社会的な要求から生じるものといえます。決して条件つきのメッセージ自体が悪いわけではありませんし、社会が存続していくためには必要なものとも言えます。
しかし、最近気になるのは、条件つきメッセージがあまりに強くなりすぎている傾向があることです。近年「勝ち組」「負け組」という言葉が
すっかり定着して しまいましたが、そういったことも関連しているのでしょう。バランスを欠いている気がしてなりません。
私たちはここでちょっと立ち止まり、心を静かにして事実を確認する必要があるのではないでしょうか。条件つきメッセージは社会的要求から仮に設定されるも のです。決して客観的事実ではありません。単に任意に形成された価値観にすぎないのです。自分自身にがっちりとあてはめているこの条件をはずしてみたらど うなるでしょう?自分の存在は「良いこと」でも「悪いこと」でもなくなります。あえて言えば「無条件の肯定」だけになるでしょう。存在を否定するものは何 もないのですから。
傷ついた人を癒す可能性をもつのは、この「無条件の肯定的メッセージ」ではないでしょうか。高ストレス社会と言われる現代こそ、私たちはこの無条件の肯定 という「存在の事実」をもう一度確認する必要があると思います。
親やカウンセラーなど援助的役割を担う人たちにとって最も重要なことは、関わる人たちに「そのままの自分でいいんですよ」という無条件の肯定的メッセージ が与えられる空間を用意することではないでしょうか。その上で、現在直面している問題があれば一緒に解決策を考えていく、ということがその役割になるのだ と思います。もちろん簡単なことではありませんが、そう努力する必要があるでしょうし、とりもなおさずその努力そのものが、援助的役割にある人々をも癒す 可能性を持っていることを、日々の実践の中で実感しています。
2010.4.10(豊永)